メトロより愛をこめて

散れば咲き散れば咲きして百日紅

自戒です

 幸せになりたいだけなのに、毎日ご飯が美味しいと思いたいだけなのに、生まれてこなきゃ良かったと思わない毎日を暮らしたいだけなのに、なんで上手くいかないんだろう。

 なにも巨万の富を得たいとか、傾国の美女になりたいとか、石油王になりたいとか、そういうことを言っているんじゃないんだけど。って思ってたんだよね、ほんの1週間くらい前まで。

 

  ところで、「幸せ」って英語に訳すと“happy”になる。でも、「幸せ」と“happy”って、意味、全然違わない? 日本人の感覚だから、“happy”じゃなくて「ハッピー」かな。英日バイリンガルに聞かないと、「幸せ」と“happy”の差なんてわからないかもしれない。

こういう他言語との単語の意味の差って、大抵文化的な背景がある。宗教とか。その理解が必要不可欠だって考えると実は翻訳ってかなり難しい。もう一学問として、文学から独立してもいいくらいだと思う。

そう、それで、「幸せ」は前からそうだし、これからもずっとそうな気がする。少なくとも、二、三週間は続いてそう。でも“happy”(「ハッピー」)って、せいぜい1週間が限度って印象。あくまで単語単体で聞いた時の意味って話で、実際全然そんなことはないんだけどね。 わたしだけかな。

 

話が逸れた。幸せになりたいだけなのに、って話。まるでわたし、「多くは願わないのに」「普通でいいのに」って言ってるみたいだなって思った。わたしの友人たちなんか、ずっと思ってたかもしれない。言葉通りなら「普通」

を願ってるだけに聞こえるかもしれないけど、わたしの「生まれてこなきゃ良かったと思わない毎日」は非常にハードルが高い。これにも最近気がついた。瑕のない玉レベルでなにもかもがうまくいっていないと「死にたい」。

甘ったれとかワガママとか思われて仕方ないと思うんだけど、なんかどうにも生きにくい。プライド高いんだよね、結構いないかな、こういう人。

 顔面の話でも多分にそれは発揮されていて、たぶんわたしって醜くはあるけど、それを苦に自殺するほどの顔面ではないはずなんだよね。偏差値44くらいかな……強気に出すぎただろうか……。で、偏差値60くらいはないと「死にたい」んですよね。理想とのギャップが激しすぎて損してる。だからみなさん、こういうことを言う人には「大して死にたくないくせに」

ではなく「プライドが高くて苦しいんだな」 と哀れんで頂きたい。

 プライドが高いから、心の底でたぶん「わたしは優れている」と思っているようで(思っていたとしても無意識)、元恋人がわたしのために変わる努力をしてくれないことが許せなくて上手くいかないところもあったなあ。わたしはなんでもするのに、って。ある程度好きな女のために変われない男なんて情けないし、尊敬できないけどね。

 でも、かなり生きづらい。改革運動を始めたいところです。自己と理想のギャップに苦しんでその事実を受け入れられないなんて、めちゃくちゃ手垢のついた悩みじゃない?遅れてきた思春期みたいだよね、そういえばわたし、反抗期なかったし。